幼いころに”どうせ私なんか誰にも必要とされていない・認められていない”と思い込んだ孤独な心に対して心を開いてもらうには時間が掛かると改めて感じた日があった。
というよりも、その幼き頃に思った想いに気づくのに時間がかかったと言っても良いのかもしれない。
人には「本音と建て前」が誰にでもある。
不安と恐怖からくる孤独と共に生きてきた人たちにとって、人に心を開くという事はとても難しい事だといつも思う。
なぜなら意識的には心は開いているつもりだからだ。
しかし潜在意識にある心はそうはいかない。
開いているように見せて、のらりくらりと本音を隠す。
それも心を閉じてから長い年月が経っていればいる程、その心の扉はなかなか開かれる事はない。
なぜなら本人すらも時が経ち、その頃の想いや記憶が薄れているから。
私はこの扉を無理に開けることは基本しません。
というよりもこの扉は無理やりには絶対開かない扉だから。
そしてこの扉を開けなくても幸せに生きて行けるのなら開ける必要はないと思っている。
しかしその扉を開けて貰わなければ解決出来ない問題もある。
今回開けた心の扉はそんな扉だった。
明るい皆がいる場所に自分も生きたいと願っているのに、不安と怖さで動けなくなった自分が扉の前で動けずに固まっていた。
行きたいのに行けない。
なぜなら失敗することが怖いから。
失敗してもまた頑張れば良いという人もいるだろう。
しかし幼い時に誰も手助けてくれず、自分一人で何もかも背負わないといけなかった人間にとって失敗ほど怖いものはないのだ
成功するという確証がない中でもし失敗したら、失敗後の始末もやはり自分一人でなんとかしないといけないのであれば、やる選択よりもやらない選択をするのは当たり前だと私は思う。
だからずっと行動する勇気が出ないのは当たり前。
そんな心の想いを見つけた日、クライアントさんは号泣し、私はもっと早くに見つけてあげれなかった自分の力不足を感じたのでした。